患者さん対談「医師の立場、患者の立場」

”患者さん対談「医師の立場、患者の立場

樋口さんと対談するのは何回目ですかね。

何回目ですかね。かなりやっていますけど、いつも台本無しですね。それが嬉しいです。

だんだん髪型も似てきましたね・・・(笑)。さて、パーキンソン病と診断がつくまでのことを少しお話しいただけますか。

2007年にパソコンを打っていて右手が遅れることに気づいて、最初は四十肩かなと思って整体に行ったのですが、その時はよくなるけどまた戻ってしまいました。ある日、ライブのリハーサル中に、ギターのストロークする手がどうしても思うように動かなくなって、その一週間後には右足が前に出なくなったので、これは神経の病気じゃないかと思って神経内科に行きました。最初に行った病院ではジストニアと言われたのですが、何か違うなと思って、インターネットで検索していると自分とよく似た症状の人のブログを見つけて、その方がパーキンソン病だと書かれていました。あまりにも症状が似通っていたので、最終的に行った病院で「私はパーキンソン病だと思うので調べてほしい」とお願いしたのです。そこで脳血流とMRIを撮ったのですが、異常がなかったので頼み込んで心筋シンチグラフィを受けさせてもらい、2009年の3月にその検査結果と症状をもって確定診断されました。結局、最初に異常を感じてから確定診断にいたる2年間に15病院くらいを転々としたことになります。

シンガーソングライター

1964年熊本県生まれ。立教大学在学中からバンド活動を始め、1993年に『今でも』でデビュー。歌手活動の傍ら、SMAPや石川さゆりなどに楽曲を提供。2009年に家族の愛をテーマにした曲『手紙~親愛なる子供たちへ~』で日本レコード大賞優秀作品賞などを受賞。パーキンソン病と向き合いながら、無償で歌を届ける「ポストマンライブ」を行っています。

初期の頃はギターが弾けなくなっただけで声そのものには異常がなく、サポートのメンバーを入れてライブやレコーディングを行っていました。『手紙』という曲もギターの弾けない状態でレコーディングしたのですが、その一年後、2009年の後半くらいに声が出なくなって、自分の音楽スタイルを変えていかなければならなくなりましたね。

その時の心理状態はどういう感じでした?

最初は以前の声を失うことが怖かったです。昔のようにやりたいし、またやらなければいけないという思いが交錯して、精神的に相当辛かったですね。その気持ちを捨てて、今のコンディションでどういったものができるかというように切り替えられるようになって、やっと前向きに捉えられるようになりました。もちろん、突然できたわけではありませんが。

パーキンソン病の診断がついてからはどうでしたか。

病気がはっきりしたという安心感と同時に、将来に対する不安と憂鬱を抱えました。これは今でも変わりません。

診断がついたのは熊本の病院ですか。

東京です。なぜか初期の頃は処方された薬が効かなくて。それとレビー小体型認知症の可能性もあると言われて、その薬も飲んでいました。この薬は気持ち悪くなるので途中で止めたのですが、その頃にインターネットのask the doctor という掲示板で服部先生に質問をしたら、セカンドオピニオンを求めてみてはと応えていただいたので、順天堂大学に行ったのです。

それは何年前でした?

2010年ですから、5年程前です。そこでレビー小体型認知症ではないと思うので薬は止めてくださいと言われましたが、パーキンソン病であることは間違いないと思いますと。これは新しく検査をしたのではなくて、持って行ったデータによる追認という形です。その後、遺伝子解析を行っていただきました。孤発性だと聞いています。

セカンドオピニオンの後は、もとの病院に通っていたのですか。

パーキンソン病がそれほど得意じゃないということだったので、順天堂大学に移りました。そのまま1年ほど通っていましたが、熊本への移住に伴って主治医を変えていただきました。ある方の紹介で服部先生に直接お会いしたのはその後です。

順天堂大学の診療に対する姿勢はどうですか。

実践的な細かいことに関しては地元の先生が良く相談に乗ってくれるのですが、私が服部先生に会うのは元気をもらうためです。どんな症状を訴えても、基本は「大丈夫」と言っていただけますよね。受診するたびにそう言ってもらえるのは得難いことだと思います。

今、何を服用されています?

貼付剤とレボドパ製剤300mg/日、それと選択的MAO-B阻害剤2錠で、レボドパが300mgで効かないときは100mgを追加しています。

貼付剤はかぶれませんか?

かゆいですね、背中は結構かぶれています。これは胸に貼ってはいけないのですか?

この薬は海外で開発されているので、外国人の男性は胸毛が多くて貼れないのですよ。だから、胸に貼った場合のデータがないのです。

薬といえば、海外にはレボドパの血中濃度を安定させる徐放剤があると聞いているのですが、日本ではまだ使えないのですか?

混合診療のできる病院で、薬を輸入して患者さんの実費で自費診療と保険診療を混合する、ということができるかもしれません。順天堂大学も、海外で認可されている薬を処方できる指定を受けています。

順天堂大学でレボドパ徐放剤を輸入される予定はありますか?

検討はしていますが、できれば日本全体で使えるようにしたいと考えています。そのためには製薬会社さんに頑張ってもらわないといけません。徐放剤ではないのですが、チューブを通じてポンプでジェル状のレボドパを持続的に注入する薬も海外で発売されています。これは、胃ろうを造る手術が必要になります。

レボドパは脳内で作られるドパミンと作用が同じということですが、安定的に供給されれば副作用は起きにくいのですか?

難しいですね。血中濃度が安定した状態は脳でも安定しているというのが大前提なのですが、十分には解明されていません。それにしても、樋口さんのように病気についていろいろな関心を持たれることが、前向きになるための方法の一つでしょうね。

中途半端が一番良くないので、自分で納得できるだけの情報は集めたいと思っています。それを踏まえて、今後どうのように歌をやっていこうかと考えています。ただし、病気が進行していくのではないかという不安も常につきまとっています。どのようになっても歌だけは続けていきたいという気持ちと、不安とがいつもせめぎ合っていますが、服部先生のお話を伺うと安心して仕事に取り組めるようになります。

神経内科にはまじめな先生が多いですね。でも、診療を離れた場ではフランクな気質を持っている先生の方が、パーキンソン病治療のエキスパートとしての適性を持っています。

なんとなく分かります。服部先生は常にそういった、楽天的な雰囲気を醸し出していますね。

例えば80歳を過ぎた患者さんのMRIを撮って、脳梗塞が一杯ありますねと言う若い先生がいますが、私は、年齢を考えるとそれは正常の範囲内だと思うわけです。そうすると、「大丈夫」と言ってあげた方が患者さんも安心しますよね。

パーキンソン病というのは気持ちが上向いた時に病態が良くなるって聞いたことがあるのですが、先生はそこまで考えてらっしゃるのですね。

一日に80人近い患者さんを診るじゃないですか。単純計算で一人平均3分くらいですね。そのために2時間も3時間も待たれているわけです。そうなると、まず行うことはスキンシップ。「大丈夫?」「大丈夫!」って。だから皆さん明るく元気になって帰られる。

自分がかかってみて分かったことですけど、そういうところが内科医として一番重要じゃないかと思いますね。どんな顔をしても病気は変わらないわけですから、それなら前向きな気持ちにさせてくれる先生にかかりたいと思いますね。

元気をあげるための診療というのは、知識だけではできませんね。そして、元気をあげるための医療教育は殆どできないのですよ。

知識に裏付けられた楽天的な発想ですね。

そうですね。確固たる自信がないと、患者さんに対してフランクな対応はできません。患者さんは全員不安を抱えて来られています。それに対してしっかりとした説明を行った上での「大丈夫!」でないと、信頼性がなくなってしまいます。

音楽の世界でもそうです。明るい言葉を羅列しただけのメッセージソングでは説得力に欠けますね。私はどんな応援ソングを作るときも、ネガティブな要素を並べた上で、一番大事な部分に明るい要素を置くようにします。そこは似ているような気がしますね。

樋口さんは音楽を通じて人を元気づけているし、私は診療や将来的な研究を通じてパーキンソン病患者さんを元気づけているわけです。その時に、与えられた目の前の課題を一生懸命やっていれば、結果は何とかなってくるものです。樋口さんもそうでしょう?

そうです。

病気においてもそうです。良い運を呼び込むためには、病気を病気だと思うよりは運の一つだと思うことが重要です。だから樋口さんもこうして元気でいられる。髪型も似てきたことだし、デュエットを組んでも大丈夫ですよ。

そうですね、「プロフェッサーズ」というバンドを組んで、紅白に出ましょう。それにしても、いつもこの話で終わりますね(笑)。

シンガーソングライター

1964年熊本県生まれ。立教大学在学中からバンド活動を始め、1993年に『今でも』でデビュー。歌手活動の傍ら、SMAPや石川さゆりなどに楽曲を提供。2009年に家族の愛をテーマにした曲『手紙~親愛なる子供たちへ~』で日本レコード大賞優秀作品賞などを受賞。パーキンソン病と向き合いながら、無償で歌を届ける「ポストマンライブ」を行っています。